〜長いので興味のない人はパスしてちょうだい〜
*昭和34年大阪・高槻市に生れる
*子供の頃から音楽は好きだったようで、3才の頃既に「柳ヶ瀬ブルース」を完璧に歌っていたらしい
*小学生の頃、ピアノを習っていた姉2人と一緒におもちゃのヘルメットや砂糖の缶を叩いてリズムを
とっていた。もしかしたらその頃から将来ドラムを叩くことを意識していたのかもしれないが。
*父は合唱、上の姉は音大出の音楽教師、下の姉はエレクトーンの教師、と音楽一家に育ちながら
私はとくにこれ以上のエピソードもなく少年期を過ごした。しいていえば、中学高校時代は天地真理
やキャンディーズのファンでよくコンサートには通っていたが、いわば単なるアイドルおたくである。
しかし、ステージで演奏するバンドの人達が凄くかっこよく思えて,自分もやってみたいとあこがれた
のは確か。ズラリと並んだライトを浴びた楽器の中でドラムが一番輝いていた。
*大学入試の年にキャンディーズの解散という衝撃的な大イベントを迎えたせいで浪人し、1年後
東海大学に入学してジャズ研究会に入ったことから私の音楽プロフィールがスタートする。
*なぜ急にジャズ研かというと、吹奏楽は厳しそうだし、軽音は今でいうロン毛ばっかりで怖そうで、
ジャズ研はみんなやぼったい服装で 貧乏で素朴そうな人達ばっかりで自分に合いそうと思ったから。
また私はジャズなんて全く知らず(ビッグバンドは歌番組の伴奏をするのが専門のバンドと思ってたくらい)
アイドルおたくで歌謡曲を演奏したい、くらいにしか考えていなかったので
先輩に「ジャズをやったらどんな音楽でも演奏できるようになるぞ!」という文句に騙された。
*しかしながら昔取った杵塚(ヘルメットと砂糖の缶ですが)なぜか、のほほんとやっているうちにけっこう叩けるようになった。
*本人は歌謡曲にまだ近いリズムのフュージョンを志していたが、端から見れば4ビートの方が上手いらしく
4ビートのコンボばかりから声がかかり、大学4年間でフュージョンっぽいバンドをできたのは
卒業前に後輩のバンドに頼んで入れてもらった1回だけであった。
*唯一の栄光・・・・・3年生の時、ビッグバンドのレギュラーメンバーになり山野ビッグバンドジャズコンテストに出場し
なぜか敢闘賞を受賞したのであった。(ジョージ川口の前で演奏した。キンチョー!)
*卒業時、プロに・・・と思わなかったことはないが、やはりそこまで勇気はなく、結局故郷の大阪高槻に帰る。
*会社勤めをしながら、池長一美氏に2年間基礎レッスンを師事する。
*その後は転勤や年中無休の仕事に従事したので継続的にはバンド活動をすることもなかったが
故郷高槻市ではセミプロ当時の’すかんち’と共演したこともあり、すかんちが優勝、うちのバンドが準優勝ということもあった。
*横浜在住時には角田健一氏指導による横浜ベイブリーズOhcへの参加やコンボでの本牧のライブハウス
渋谷のクロコダイルへの出演等、充実した音楽活動を行っていた。
*2000年よりペンションさすらいの自由飛行館のオーナーとなり、毎晩無理やりお客様にドラムを聞いてもらっている
*2005年夏より地元須坂の社会人ビッグバンド「リバティージャズオーケストラ」に参加
好きなドラマー・・・・・・・・・・スティーブ・ガッド、渡嘉敷祐一、池永一美、中村秀樹
ドラマーとしての長所・・・・・どんな音楽、曲(クラシックから演歌、民謡、童謡まで)にでも合わせます
初めて聞く曲でも即興でテキトウに合わせます〜これがケッコウはまる〜
ドラマーとしての短所・・・・・楽譜が全く読めない!
即興を命としているので、決まりごとがあっても出来ない!
「ここでこうして」と言われても、本番では好きにやってしまいます
皆様の楽しいご旅行の雰囲気をぶち壊さない程度に
魂込めて熱いプレイを心掛けております
どうぞよろしくお願い致します
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